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医師紹介

天野博明(院長)

プロフィール

東京都三鷹市上連雀出身
5人家族 妻・子供3人(全員男子)

血液型

O型

星座

うお座

モットー

笑顔で明るく元気よく

好きな食べ物

納豆、オクラ、レンコン、餃子、春巻き

苦手な食べ物

ラッキョウ(島らっきょうはギリギリ食べられる)

趣味

料理をつくること、アニメを見ること

できる運動

卓球、スキー

弱点

よくおなかをこわす。特に試験前、発表前など

好きな言葉

「諦めからは何も生まれない」by古賀稔彦 (高校に講演に来てくださった時に聞いて感動してしまった)

好きなアニメ

異世界転生するやつだいたい好き

好きな本

「モモ」ミヒャエル・エンデ
「京極堂シリーズ」京極夏彦

好きな場所

温泉、おしゃれなカフェ、家のトイレ

自己紹介

私はこれまで15年間、大学病院の腎臓内科医として、多くの患者さんと向き合ってきました。最前線の医療に携わる中で、ずっと心に抱えていた思いがあります。それは、「もう少し早くお会いできていれば、もっと多くの選択肢を提案できたのに…」という、声にならない悔しさです。

腎臓病をはじめとする生活習慣病は、自覚症状がないまま静かに進行します。大学病院に来られる患者さんの多くは、すでに病状が進行し、治療法が限られてしまうケースも少なくありませんでした。 また、「大きな病院で診てもらえと言われたから」と、ご自身の体の状態を詳しく知らないまま、不安な面持ちで来院される方にも数多く出会いました。

症状が深刻になる前に、病気の芽を早期に発見し、適切な治療を開始すること。そして、もし病気と診断されても、不安なく共に歩めること。そんな医療を実現したい一心で、慣れ親しんだ大学病院を離れ、この地域に根ざすクリニックを開くことを決意しました。

当クリニックができることは、大学病院に比べれば限られているかもしれません。しかし、だからこそできることがあります。

それは、一人ひとりの患者さんとじっくり向き合い、対話を重ねることです。お体の小さな変化を見逃さず、ご自身の状態を深くご理解いただいた上で、納得できる治療法を一緒に見つけていく。常に患者さんにとってより良い選択肢をご提案できる、そんな医師でありたいと考えています。

そして、もし専門的な検査や治療が必要になった際も、ご安心ください。大学病院で様々な診療科と連携してきた15年間の経験から、どの科に、いつご相談するのが最善かを的確に判断し、責任をもって適切な専門医へおつなぎします。

体調に不安を感じた時に、「まずはあそこの先生に相談してみよう」と思っていただけるような、安心できる場所でありたい。その思いを胸に、心を込めて努めてまいります。 どうぞ、末永くよろしくお願いいたします。

私のこれまで

幼少期

三鷹市上連雀生まれ。家族で酒屋を経営しており、「酒屋の息子」といわれながら過ごしていました。母が教育熱心だったため小学校は私立を受験し、調布にある晃華学園という小学校に通学していました。カトリックの学校ということもあり、勉強だけでなく人に感謝する気持ちや思いやりの心を教わりました。女子の比率が多く、基本的にボーっとしているのんびり屋さんだったので、クラスを仕切る活発な女子にすっかり尻に敷かれていました。そんな小学校生活も今振り返ってみれば楽しかった思い出でいっぱいです。

中学高校生時代

中学校受験をし、世田谷学園という中高一貫校に進学しました。共学から男子校になり、カトリックとは一転、今度は仏教、禅宗の学校だったので十字架をきってお祈りする日々から座禅をして精神統一する環境になり環境変化についていくのが大変でした。部活は卓球に打ち込み、部活→地元のITS三鷹で卓球→部活→ITS三鷹の繰り返しでほとんど勉強はしていませんでした。高校生になり、父から将来の話をされ、漠然としていた将来への進路をよく考えるようになりました。このころはまだ医師になろうという目標はなかったのですが、憧れはあったとおもいます。自分が理系だったことや、父の友人が歯科医だったこともあり、医療に興味を持つようになりました。予備校に通い、医学部のオープンキャンパスや知り合いの先生のお話などを聞いたりしていくうちに一念発起し医学部受験をめざしました。全く勉強していなかったのでかなり苦戦しましたが、2年間猛勉強して埼玉医科大学に合格をいただいたのを覚えています。

医学部学生時代

勉強から解放され、1年生のときは卓球→試験→卓球→試験の繰り返しでした。かなりビビりだったので、真面目に勉強し成績は上位だったのですが、卓球に明け暮れたため4年生ころから成績が落ちてきたので、勉強のギアを上げて、6年生のころには上位に返り咲けたような?気がしています。中学から大学まで卓球漬けの毎日でしたが、卓球を通じて多くの仲間と出会いました。いざというときの度胸やつらいことを乗り越える根性、仲間たちとのチームワークなど卓球を通じて得た経験のおかげで多くの困難を乗り越えられてきたと思っています。
医師の就職活動はマッチングといって研修先の病院に就職活動をしに行きます。事前に病院見学にいったり、病院のイベントに参加したりして自己アピールをしたりします。自分は当初、救急医療や総合診療に興味があり、地方の基幹病院で研修をしようと長野や静岡などの病院に応募しましたが、かなり人気の病院だったため応募は通らず、最終的には自分の大学病院で研修することになりました。

研修医時代

かなり生意気だったと思います。絶対負けたくなかったので、勉強と仕事しかしていませんでした。変な自信があったのか、偉そうな研修医だったと自負しています。今思えば、反省です。でも、自分の出身校だけあって医学部時代からの仲間も多く、そんな自分を諫めてくれた友人達に感謝しています。友人たちがいなければ今の自分はなかったように思います。
研修医を始めた時は「どんな疾患も自分で全部診られるようになりたい。」という気持ちで臨んでいました。医学生の時よりも勉強をしていたような気がします。しかし、どの分野も奥が深く、数か月の研修期間で学ぶことには限界がありました。そして、それと同時に、総合診療だけでなく専門医になって得意分野を極めていく必要があると思うようになりました。

腎臓内科へ入局

臨床研修を経て、だんだんと自分の気持ちは救急や総合診療から専門内科に変わっていきました。そんな中でも急性期から慢性期、研究や教育など総合力もあり、本来自分が目指していた医師像に近い先生方がいらした腎臓内科に入局しました。僕が入局した当時の先生方は腎不全の患者さんの総合診療という、腎臓の専門治療に固執しない裾野の広い診療スタイルで診療されていました。専門家が総合診療をしているという印象で、何でもできる専門医の先生というイメージで当時の私は強い憧れを抱いたのを覚えています。腎臓という臓器は沈黙の臓器ですが、ひとたび壊れれば治癒することは難しい臓器です。それでもちゃんと治療すれば透析までの期間を延ばすことができます。ひとりでも多く透析患者さんを減らしたい。そんな思いで腎臓内科に入局しました。
入局後は様々な経験をしました。慢性腎臓病の患者さんの管理がメインですが、ネフローゼ症候群やIgA腎症、多発性嚢胞腎、ANCA関連血管炎など多くの患者さんを診療しました。埼玉医科大学は田舎にあることもあり、診療地域も広く、多彩な主訴を訴えていらっしゃる患者さんが多かったためたくさんのことを学ばせていただきました。そのほか、腎臓内科学の深淵を覗きたいという気持ちになり、大学院に入りました。慢性腎臓病の主病態であり腎乾間質線維化の基礎研究や研究業績の国際学会における発表など、多くの貴重な経験をさせていただきました。

開業へ

さまざまな経験を積む中で、腎臓病とはいかに早くみつけ、治療を行えるかが重要ということを、患者さんを診れば診るほどしみじみと感じるようになりました。ちょうど大学院卒業から2年ほど経過し、実家である三鷹に戻る機会も増え、地元へ帰りたいという思いも強くなっていた時期だったこともあり、三鷹での開業を決意しました。これからは、自分が学んできたことを生かし、上連雀の皆様の健康寿命の延伸に貢献できればと思っております。誠心誠意、診療に邁進したいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

職歴

  • 2011年4月 埼玉医科大学国際医療センター 初期臨床研修
  • 2013年4月 埼玉医科大学病院腎臓内科 助教
  • 2024年8月 埼玉医科大学病院腎臓内科 講師
  • 2026年4月 三鷹あまの内科・腎クリニック開業

学歴

  • 2011年3月 埼玉医科大学医学部医学科 卒業
  • 2022年3月 埼玉医科大学大学院 卒業

所属学会

  • 日本内科学会
  • 日本腎臓学会
  • 日本透析医学会
  • 日本腹膜透析医学会

資格

  • 医学博士
  • 日本内科学会総合内科専門医・指導医
  • 日本腎臓学会専門医・指導医
  • 日本透析医学会専門医・指導医
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